朝比奈家のはじまり / 第2話 / 離乳食

第2話「食べないスプーンと、冷めたおかゆ」

一生懸命作ったおかゆを、りくが一口も食べない。冷めていく器の前で、つむぎの心も少しずつしぼんでいく。

朝比奈家は架空の家族です。登場人物は著者・監修者ではありません。

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リード

昼前のキッチンで、つむぎは小さな鍋を見つめていた。

白いおかゆ。
やわらかく煮たにんじん。
りく用の小さな器。
くまの絵がついたエプロン。

今日は食べてくれるかもしれない。

そう思って並べたものが、テーブルの上で少しずつ冷めていく。

これは、離乳食の正解を説明する話ではありません。
でも、「食べてくれない」ときに、自分の努力まで拒まれたように感じてしまう親の心を、少しだけほどくための朝比奈家の一日です。


本文

scene 1:小さな器に込めた期待

昼前のキッチンには、やわらかい光が入っていた。

つむぎは、小さな鍋の中をゆっくり混ぜていた。
白いおかゆに、やわらかく煮たにんじんを少しだけのせる。

つむぎ

今日は、食べてくれるかな

声に出すと、少しだけ期待が形になった気がした。

りく用の小さな器。
くまの絵がついたエプロン。
お気に入りのマグ。
食べこぼし用のタオル。

テーブルの上は、つむぎなりの“準備万端”だった。

昨日は、ほんの少しだけ口に入れた。
だから今日は、もう少し進むかもしれない。

そう思う自分がいる一方で、つむぎは小さく肩に力が入っているのもわかっていた。

「食べてほしい」

その願いは、いつの間にか少しだけ重たくなっていた。

scene 2:閉じた口

つむぎ

りく、あーん

つむぎがスプーンを近づける。

りくは、じっと見た。
スプーンの先のおかゆを見て、つむぎの顔を見て、それからまたスプーンを見た。

そして、口をきゅっと閉じた。

つむぎ

……あれ?

つむぎは笑顔を作る。

つむぎ

あーん。おいしいよ

りくは首を横に振った。
小さな手でスプーンを押し返す。

ぽとり。

おかゆが、テーブルに落ちた。

つむぎはすぐに拭いた。
怒るほどのことではない。
そんなのは、わかっている。

でも、胸の奥で何かが小さくしぼむ音がした。

scene 3:冷めていくおかゆ

つむぎ

昨日は少し食べたのに

つむぎは、こぼれたおかゆを拭きながらつぶやいた。

りくは椅子の上で体を反らせる。
エプロンを引っ張る。
スプーンを見るだけで、顔をそむける。

つむぎ

どうして……

その声は、りくに向けたものなのか、自分に向けたものなのか、つむぎにもわからなかった。

おかゆから、湯気が消えていく。

昨日より少し細かくした。
温度も見た。
時間も考えた。
眠くなる前にしたつもりだった。

それでも、りくの口は開かない。

食べないだけ。
ただ、それだけ。

でもつむぎには、今日の自分の準備や期待まで、全部横に置かれたように感じた。

scene 4:航平の何気ない一言

夕方、航平が帰ってきた。

りくは、ミニカーを走らせながら機嫌よく笑っている。
昼間の食卓が嘘みたいだった。

航平がカバンを置きながら聞く。

航平

今日、りく食べた?

つむぎは、少し間を置いて答えた。

つむぎ

ほとんど食べなかった

航平は、悪気なく言った。

航平

まあ、そのうち食べるんじゃない?

その一言は、たぶん間違っていない。
むしろ、正しいのかもしれない。

でも、つむぎには軽く聞こえた。

つむぎ

そのうちって、いつ?

声が少し震えた。

航平は驚いた顔をする。

航平

ごめん。そういうつもりじゃ……

つむぎ

私、毎日考えてるんだよ

つむぎは、目を伏せた。

つむぎ

何なら食べるかなって。どれくらいなら食べるかなって。今日こそって

航平は黙った。

りくのミニカーの音だけが、リビングに小さく響いた。

scene 5:スマホの中の正解探し

夜、りくが寝たあと。

つむぎはスマホを開き、離乳食を食べない理由や、なかなか進まないときの向き合い方を調べていた。

画面には、いろいろな工夫が並んでいる。

食材を変える。
固さを変える。
時間を変える。
手づかみを試す。
市販品を使う。

どれも大事そうで、どれもできていない気がした。

スクロールする指が止まる。

子どもの食欲や食べ方には個人差があります。

つむぎは、スマホを持つ手を少しだけゆるめた。

つむぎ

個人差……か

その言葉だけで不安が消えるわけではない。
でも、食べないことがすべて自分のせいではないのかもしれない。

そう思えただけで、少しだけ息がしやすくなった。

scene 6:明日は、ひと口だけ

翌日。

つむぎは、昨日より小さな器を出した。

おかゆは、ほんの少しだけ。
かぼちゃも、スプーンの先にのるくらい。

つむぎ

今日は、ひと口チャレンジにしよう

自分に言い聞かせるように、つむぎは言った。

航平が横からそっと聞く。

航平

俺、スプーン持ってみてもいい?

つむぎは少し迷った。
また食べなかったら、落ち込むかもしれない。
航平の前で、また気持ちが揺れるかもしれない。

でも、うなずいた。

航平がスプーンを持つ。
りくは、不思議そうにそれを見る。

口は、開かなかった。

でも、昨日みたいに泣かなかった。
顔もそむけなかった。

つむぎ

……今日は、ここまででいいか

つむぎが言うと、航平も静かにうなずいた。

scene 7:食べなかった日も、終わっていい

夕方。

りくは、おもちゃの車を走らせながら笑っていた。

つむぎは、空にならなかった器を洗う。

食べなかった。
今日も、思ったようには進まなかった。

それでも、りくは笑っている。
つむぎも、昨日より少しだけ息ができている。

航平が横に立って言った。

航平

明日、にんじんじゃなくて、かぼちゃ、もう一回試してみる?

つむぎは、少しだけ笑った。

つむぎ

うん。でも、少しだけね

冷めたおかゆの日は、失敗の日じゃない。

朝比奈家の食卓は、まだ練習の途中だった。


解説で深める

この話で出てきた「離乳食を食べない不安」について、焦らない進め方や今日できる工夫を整理した記事はこちらです。

離乳食を食べない日に、焦りを小さくするためのノート

離乳食という言葉の意味を短く確認したい方はこちら。

離乳食とは?


次回予告

次回、朝比奈家の朝は、靴下ひとつで止まります。

りくの「イヤ!」に、つむぎの余裕が少しずつ削られていく朝。

第3話「イヤ!の声に負けた朝」へ続きます。

解説で深める

離乳食を食べない日に、焦りを小さくするためのノート

離乳食や赤ちゃんのご飯を食べない、進まないと感じる日が続くときに。理由を一つに決めつけず、体調、月齢、食卓の条件、食べ方と成長を相談したいサインを分けて、親子の焦りを小さくします。

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第1話 第1話「午前3時、朝比奈家の小さな怪獣」第3話 第3話「イヤ!の声に負けた朝」